映画とか音楽とかの雑記

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映画の歴史 その5 トーキー映画へ

 トーキー。フィルムのサウンドトラックに音を記録し映像と同調させて画面に映写する発声映画。1920年代後半から1930年代前半に普及する。映画業界はトーキー化の波に飲み込まれていく。新たな設備の為に多大な出費を迫られ経営難に陥る会社があらわれたり、無声映画こそ映画の姿であり至高であると考える人達がいた。結局すべての作品がトーキーとして制作されていく

 
 映画人たちは、トーキー化によってそれまでとは異なった表現方法を模索するようになる。映像と音声の構成を試行錯誤で追求していく。エイゼンシュテイントーキー宣言を発表して新たな映画形式であるトーキー映画に積極的に対応しようとした。こうした映画人たちの姿勢が結果的に映画の新たな一面を形作り、映画をより広く、豊かで濃いものへと昇華させていくのであった。
 新たなジャンルとしてミュージカル映画・ギャング映画が生まれた。「ジャズシンガー」「暗黒街」が有名作。


 また1930年代は、世界が再び戦争へと近づいていった時代でもあった。第一次世界大戦と同様、映画も密接に関わることになっていく
・フランスでは同時代の陰鬱な雰囲気を映画に反映し、大いなる幻影」「望郷」などが製作された
・ドイツではタンバーグ嘆きの天使」、フリッツ・ラング「M」など名作が生まれるが、ナチス政権誕生後国策映画への道を歩み、オリンピア」「意志の勝利」などが製作された
・イギリスではドキュメンタリー運動の下で市民を啓蒙するメディアとして映画が製作された
・アメリカでは他国と違い、映画業界は好調であった。ミュージカル映画・ギャング映画の量産やフランクキャプラ・チャップリン・ジョンフォードらが名作を生み出していた。
・日本では社会的不安を反映した小津安二郎「生まれてはみたけれど」、「何が彼女をそうさせたか」が生まれた。