映画とか音楽とかの雑記

映画が大好きな社会人の雑記、メモ帳代わりに

映画の歴史 その3 第七芸術 産業としての映画

 映画が庶民に浸透していく中で、産業化に向けた動きが世界中で加速した。ソフト面・ハード面での進化がそれを推し進めた。
 フランスのパテ社がその一例である。
 様々な映画ジャンルを開拓し、カメラ・プロジェクターの製造から配給網・映画館網を構築し映画を大きな産業として確立させた。

 アメリカではトーマス・エジソンが自分の特許を主張し裁判を起こしたり、モーションピクチャーパテントカンパニー(いわゆるエジソントラスト)を設立して映画界の独占を目論んだ。しかし反トラストの旗を掲げる人達やニッケルオデオンの人気などにより独立系の映画製作者たちはカリフォルニアのハリウッドへ集結していく。気候も良く、地理的な条件でも司法の手を逃れやすいメキシコ付近ということでハリウッドは独立系の人たちにとって格好の映画製作場所だった。

 アメリカ映画表現に大きな変化が現れる。グリフィスの登場である。演劇畑のグリフィスは、小説の技法に学び、映画の文法と呼ばれる表現の独自性を見出した。國民の創生・イントレランスはその集大成であり、その後の映画に多大な影響を与えた
 
 日本では日活が設立されて、尾上松之助牧野省三という映画人が活躍していた。また純映画劇運動が起こり、アメリカ・ヨーロッパの映画を手本とした新たな運動は松竹シネマなどが支持し形となっていく。

 1910年代は第一次世界大戦があり、それまで世界の映画をリードしてきたフランス映画がその勢いを完全にそがれ、代わってアメリカ、とりわけハリウッドが世界の映画をリードする存在となった。

代表作
カリガリ博士
イントレランスなど