ゴッドファーザーシリーズについて
皆さんこんにちは、今回は映画「ゴッドファーザー」シリーズについて書きます。
原作はアメリカの作家マリオ・プーゾが発表した小説。1972年フランシス・フォード・コッポラ監督が映画化しました。
アメリカに渡ったイタリア移民の一人ヴィト・コルレオーネがマフィアの頂点「ゴッドファーザー」になる過程や、その子息マイケル・コルレオーネの新しい「ドン」への道を描いている。
ヴィトの生き方である、家族や友人を守り、信じることに焦点を当てており、その信条を忠実に生きていくヴィトは、いつしか財界や政界をも動かす力を持つ。
ヴィトの息子は喧嘩っ早いソニー、気弱なフレド、そして幼少期から家業のマフィアを嫌い「真っ当な」イタリア系アメリカ人になろうとするマイケル。
時代の変化と共に新たなビジネス(もちろん非合法)に舵を取らなければならない。他のマフィア達との縄張り争いもある。そんな中でも気配りを忘れない、仲間・ファミリーを実の名付け親のごとく大切にするヴィトの姿は、まさしく「ゴッドファーザー」だ。(ゴッドファーザーはカトリックの代父、名付け親のこと)
Part1は、ヴィトがゴッドファーザーになった後の話とマイケルが嫌っていたマフィア家業に足を踏み込んでいく話。
Part2や3では、ヴィトがアメリカに渡り、アメリカで地位を築いていく話やマフィアとなったマイケルが家族と組織の間で苦悩する姿が交互に描かれている。
ヴィトはゴッドファーザーになることができた。なぜマイケルはゴッドファーザーになることができなかったのか。なぜヴィトは愛され、マイケルは恐れられたのか。
作中では幾度もヴィト=神、マイケル=悪魔のような対比を見ることができる。
暴力の中に、非合法のビジネスの中にあるからこそ、光るヴィトの「愛」。
マイケルの妻ケイは、マイケルの「愛」をどう感じたのだろうか、トムは?フレドは?
家族の中の社会、組織の中の社会。マイケルは家族の中での役割期待を果たすことが出来なかったし、組織では暴力的支配の性格が強かった。暴力的支配は権力の中で最も弱く、脆く、権力維持に膨大な労力を割く。ヴィトはどちらかと言えば自発的服従、カリスマ的支配だ。支配者と被支配者の間に強い「情緒的な絆」がある支配。
アル・パチーノやロバート・デ・ニーロ、マーロン・ブランドの演技に酔いしれることだけでなく、様々な人間関係にスポットを当てると、とても面白い発見ができる映画だと思う。
映画史上に燦然と輝く、名作「ゴッドファーザー」皆さんも是非ご覧下さい。